東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)46号 判決 1988年11月17日
原告
秋鹿匡民
右訴訟代理人弁護士
岡村親宜
右訴訟復代理人弁護士
望月浩一郎
被告
岐阜労働基準監督署長
被告
岐阜労働者災害補償保険審査官
被告
労働保険審査会
右代表者会長
中村博
右被告ら指定代理人
林茂保
同
石川和雄
被告岐阜労働基準監督署長指定代理人
中里弘
同
堀井日高
同
村井寿
同
足立等
同
三田村博
被告労働保険審査会指定代理人
矢野英文
同
島村憲義
同
若月良一
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告岐阜労働基準監督署長が原告に対して昭和五三年一二月二〇日付けでした労働者災害補償保険法による休業補償給付、障害補償給付及び療養補償給付たる療養の費用給付を支給しない旨の処分をいずれも取り消す。
2 被告岐阜労働者災害補償保険審査官が昭和五四年九月一一日付けでした原告の審査請求を棄却する旨の決定を取り消す。
3 被告労働保険審査会が昭和五六年一二月三日付けでした原告の再審査請求を棄却する旨の裁決を取り消す。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、大建設計株式会社の労働者として富山県氷見市中央町所在の中央町防災街区造成工事現場の工事監督として勤務していた者であるが、昭和四四年一〇月二五日午前一〇時ころ、中央防災街区造成事業設計監督事務所の二階から工事現場に出向くため高さ二メートル五〇センチの登り桟橋を降りていたところ、同桟橋の手すりが折れたことから転落し(以下「本件事故」という。)、頭部打撲挫創、頸部挫傷及びむちうち損傷の災害に被災した。
2 原告は、直ちに救急車で氷見市民病院に運ばれたが、同病院において頭部打撲挫創及び頸部損傷と診断され、同日から同年一二月一一日まで入院して治療を受けた。原告は、同月二三日、富山県立中央病院に転医し、同病院では同日変形性頸椎症と、また、昭和四五年五月一八日頸椎骨軟骨症と診断され、同病院において同年六月八日まで治療(同年一月一九日から同月三一日までの間は入院して、その余の間は通院して)を受けた。さらに、原告は、同年六月九日、高野整形外科医院に転医し、同医院では頸腕症候群と診断され、昭和五三年九月二九日まで通院して治療を受けたが、同医院において同日治癒と診断された。
3 原告は、右頸腕症候群は本件事故に起因する疾病であるとして、被告岐阜労働基準監督署長(以下「被告労基署長」という。)に対し、<1>休業補償給付(富山労働基準局昭和五二年一〇月二一日受付。岐阜労働基準監督署同年一一月二日受付第二四七七号。昭和五〇年一〇月一九日から昭和五二年一〇月一八日までの間の休業補償給付)、<2>障害補償給付(富山労働基準局昭和五二年一〇月二一日受付。岐阜労働基準監督署同年一一月二日受付第一九九号。昭和五三年九月二九日時点における残存症状に対する障害補償給付)及び<3>療養補償給付たる療養の費用給付(富山労働基準局昭和五三年一〇月二日受付。岐阜労働基準監督署同月四日受付第七三二号。右障害補償給付支給請求書の裏面に添付した診断書の料金の給付)の各請求(以上の各請求を合わせて以下「本件各請求」という。)をしたところ、被告労基署長は、右疾病は本件事故に起因した疾病とは認められないとして、原告に対し、昭和五三年一二月二〇日付けで右の各給付をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。
4 原告は、本件処分を不服として、被告岐阜労働者災害補償保険審査官(以下「被告審査官」という。)に対し審査請求をしたところ、被告審査官は、昭和五四年九月一一日付けで、原告に現存する症状は原告の基礎疾病と本件事故に起因する残存疾病とが競合しているものと思われ、すべて業務外のものとするのは当を得ないと判断したものの、原告の業務上疾病は富山県立中央病院における最終診療日である昭和四五年六月八日に治癒したとし、<1>休業補償給付の請求は治癒後のものである。<2>障害補償給付の請求は治癒後五年を経過しているので、その請求権は労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)四二条により時効で消滅している、<3>療養補償給付たる療養の費用給付の請求は障害補償給付請求権そのものが時効により消滅しているものであるからこれに付随的に支給される診断書料の請求権も同時に時効により消滅していると判断して審査を棄却する決定(以下「本件決定」という。)をした。
5 原告は、本件決定を不服として被告労働保険審査会(以下「被告審査」という。)に再審査を請求したところ、被告審査会は、昭和五六年一二月三日付けで、本件事故に起因する業務上の疾病は原告が氷見市民病院を退院した昭和四四年一二月一一日に治癒しており、その後の療養等は本件事故に起因する疾病に対するものではなく原告の素因に基づき発症した疾病に対するものであるうえ、原告の本件各請求権は治癒後請求した昭和五二年一〇月二一日まで約八年が経過しているので労災保険法四二条により時効で消滅していると判断して再審査を棄却する裁決(以下「本件裁決」という。)をし、その裁決書は昭和五七年一月二九日に原告に到達した。
6 しかし、本件処分、本件決定及び本件裁決は、次の理由で違法である。
(一) 原告は、本件事故を機に知覚障害及び筋萎縮の症状を発症したが、右各症状は本件事故に被災したことによるむちうち損傷に基づくものであり、仮に原告が素因として変形性頸椎症及び頸椎骨軟骨症を有しており、これが影響を及ぼしているとしても、知覚障害等の右各症状は本件事故により右素因が発症増悪したことによるものである。また、右各症状の治癒の時期は高野整形外科医院の診断のとおり昭和五三年九月二九日である。したがって、被告らの本件処分、本件決定及び本件裁決は事実の認定を誤っており違法である。
(二) 本件決定及び本件裁決は、被告労基署長が消滅時効を援用していないのに原告の本件各請求権は時効により消滅したと判断した。しかし、時効は当事者がこれを援用しなければ時効を理由に決定及び裁決をすることは許されないといわなければならない。民法一四五条は時効制度の本質に基づく法規定であり、労働者災害補償保険審査官の決定及び労働保険審査会の裁決にも適用もしくは類推適用されるのである。したがって、本件決定及び本件裁決は被告労基署長が援用していない消滅時効を認めた点で違法である。
(三) 消滅時効の起算日について、本件決定は富山県立中央病院の最終診療日である昭和四五年六月八日とし、また、本件裁決は氷見市民病院退院時の昭和四四年一二月一一日とし、いずれも本件事故に起因する疾病が治癒した日とした。
しかし、労災補償給付請求権の消滅時効については民法七二四条を類推適用すべきである。すなわち、労災保険給付は損害填補の性格をも有しており、労災補償給付請求権の性格は民法七〇九条所定の不法行為に基づく損害賠償請求権と類似の性格を有するのであるから、労災補償給付請求権の消滅時効についても不法行為と同様な扱いをするべきであるし、また、民法七二四条の類推適用を認めないと、治癒の時期が必ずしも一義的に明確にし得ない場合や業務起因性の認識が一般の労働者にとって困難な場合に、被災労働者と家族の生活保障を目的とする労災保険法の趣旨に反する結果となるからである。そうすると、本件各請求権の起算日は、休業補償給付請求権については原告が知覚障害及び筋萎縮の症状が本件事故に起因する疾病であることを覚知した昭和五二年一〇月一八日であり、災害補償給付請求権にあっては原告が本件事故に起因する疾病である右症状が治癒したことを覚知した昭和五三年九月二九日である。したがって、本件決定及び本件裁決は消滅時効の起算日についての法解釈を誤っており違法である。
7 よって、請求の趣旨記載の判決を求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
1 請求原因1の事実中、原告が、原告主張のころ、大建設計株式会社の労働者として原告主張の工事現場の工事監督として勤務中、頭部打撲挫創、頸部挫傷の災害に被災したことは認めるが、むちうち損傷に被災したことは否認する。その余は知らない。
2 同2ないし5の事実はいずれも認める。
3 同6の主張は争う。
三 被告らの主張
1 原告には本件事故の災害発生状況及び頭部打撲挫創の受傷部位からみて受傷時に頸部に過伸展があったことが考えられる。原告は、本件事故当時満六二歳であり既存疾病として加齢による高度の変形性頸椎症を有していたものであるが、本件事故による頸部の過伸展は右既存疾病を増悪させ、上肢のしびれや痛みを発症させたものと推認される。しかし、右発症した症状も氷見市民病院退院時にはその急性症状は消退したものと考えられ、仮にそうでないとしても、遅くとも富山県立中央病院での治療を中止した最終診療日である昭和四五年六月八日には症状は固定しており、治癒したものである。原告が高野整形外科医院において治療を受けた症状は、原告の右既存疾病及び右肘関節の変形性関節症が原因となって発現したものであり、本件事故に起因する疾病とは認められない。
原告が業務上の負傷に基づくものとして被告労働基準監督署長に対し請求したのは、<1>休業補償給付(昭和五〇年一〇月一九日から昭和五二年一〇月一八日までの二年間の休業補償)、<2>障害補償給付(昭和五三年九月二九日時点における残存症状に対する障害補償)及び<3>療養補償給付たる療養の費用給付(右<2>の障害補償給付支給請求権の裏面に添付した診断書の料金一〇〇〇円)であるが、労災保険では、受傷により既存疾病を増悪せしめた場合、急性症状の消退をもって給付を打切る取り扱いであるところ、原告が休業補償給付を求める期間は、右のように、急性症状が消退し、症状が固定した後の期間であるから補償の対象とならず、障害補償については、遅くとも富山県立病院での最終診療日(昭和四五年六月八日)には業務上の受傷による症状は治癒したのであるから、以後の症状は、もっぱら既存疾病に起因するもので業務起因性はないというべきであり、仮に業務起因性ありとしても、労災保険給付を受ける権利の消滅時効については、労災保険法上起算日についての規定がなく、民法総則の規定が準用され、「権利を行使し得るとき」である治癒の時から進行すると解されるから、昭和五二年一〇月二一日の請求時までに、遅くとも昭和四五年六月八日と認められる治癒時から労災保険法四二条所定の五年の経過により、障害補償給付請求権は時効消滅した。その付随請求である<3>の診断書料の請求についても同様である。
よって被告監督署長のした本件処分は適法である。
2 本件決定及び本件裁決の取消しを求める訴えにあってはその裁決固有の違法事由を主張しなければならない(行政事件訴訟法一〇条二項)ところ、裁決固有の違法事由とは実体的判断に関する事由を除くその余の違法事由をいう。原告は、本件決定及び本件裁決の違法事由として被告労基署長が援用していない消滅時効を認めたと主張するが、消滅時効の判断は実体的判断に関するものであり裁決固有の違法事由に当たらない。また消滅時効といっても実体的には請求書提出期間の制限であり、除斥期間に近い性格のもので、労基署長の援用を要しない。
第三(略)
理由
一 請求原因1の事実中、原告が昭和四四年一〇月一五日午前一〇時ころ、大建設計株式会社の労働者として富山県氷見市中央町所在の中央町防災街区造成工事現場の工事監督として勤務中、桟橋から転落し頭部打撲挫創及び頸部挫傷の災害に被災したこと及び同2ないし5の各事実は当事者間に争いがない。弁論の全趣旨によれば、原告の右被災は本件事故によるものであることを認めることができる。
二 原告は、本件事故によりむちうち損傷に被災し、これにより知覚障害及び筋萎縮を発症したが、その症状が固定した時期は昭和五三年九月二九日であり、また、右時点の残存症状も右事故に起因すると主張するので検討する。
1 原告の症状及び療養経過
(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
原告は、本件事故当時六二歳(明治四〇年二月生)であったが、それまでは両上肢の痛みやしびれ感を訴えたことはなかった。本件事故後氷見市民病院の初診時から上肢の痛みやしびれ感を訴え、初診時以降入院してほぼ毎日神経機能障害改善剤及び抹消(ママ)血管拡張剤等の注射あるいは錠剤内服による治療を受けたほか、本件事故によって生じた頭部挫創の創傷の処置が終わりその急性症状の治まった後の同年一一月五日から逐次パラフィン浴、マッサージ及び頚椎牽引の理学療法による治療を受けた。原告は、痛みについては、入院当初二日間は強く訴えていたものの、その後同年一一月四日にはほとんどないとし、同月一六日痛みを感ずるとした後は全く訴えることはなくなり、また、しびれ感については、同月一七日までたびたび訴えていたが、その後訴えることはなくなった。そして、原告は、同年一二月八日の夜から無断外泊し、一旦は帰院したが同月一三日以降は治療を受けに来院することもなくなったため、同月一一日をもって退院の扱いとされ、同病院の清崎克美医師によれば右退院時にはほとんど症状はなかった。しかし、原告は、同月二三日富山県立中央病院に転医してその初診時に両手のしびれ感と痛みを訴え、昭和四五年一月九日入院した後も同様の訴えが続いたが、同月三一日には退院し、その時点では手指のしびれ感はいくらか軽減したようであるとされたものの、その後も同年六月八日まで通院した。その間、原告は、昭和四五年一月九日には左正中神経、尺骨神経支配領域の軽い痛覚鈍麻が、同年二月五日には左小指筋の筋萎縮が、同年五月一九日には整形外科神経学的検査では異常はないが右手小指球筋、中手骨間筋の筋萎縮がその症状として、また、筋電図検査で尺骨神経支配領域の小指球筋に脱神経電位が認められ、さらに、同病院で初診時及び翌昭和四五年五月一九日に頚椎のエックス線写真撮影を受けた結果によると、両者の所見には大差なく、頚椎の三~四、四~五、五~六、六~七、特に五~六、六~七の椎間板及び椎間孔の狭小化並びに四、五、六頚椎椎体の後縁に棘状の骨形成が認められた。以上の結果、原告は、初診時変形性頚椎症と、昭和四五年一月三一日頚椎骨軟骨症と診断された。また、原告は、同病院において入通院の全期間を通じて神経機能障害改善剤の注射や、頚椎牽引、ホットパック及びマイクロ治療の理学療法による治療を受けたほか、時期において異なるもののその間を通して内服薬として筋緊張緩和剤、精神安定剤及び抹梢血管拡張剤等の錠剤を服用して同年六月八日まで治療を受けた。原告は、翌九日更に高野整形外科医院に転医したが、同医院においても両上肢の痛みとしびれ感を訴え、両前腕末梢部以下の知覚鈍麻と手の筋萎縮等が認められ、頚腕症候群及び右肘変形性関節症と診断された。そして原告は、同医院において神経機能障害改善剤の注射、モビラー軟膏塗布、頚椎牽引及びパラフィン浴の理学療法、筋緊張緩和剤及び末梢血管拡張剤等の錠剤の内服による治療を受け、同医院での通院治療は八年余に及び、その間同じ治療が継続されたが症状には見るべき変化がなく、昭和五三年九月二九日に高野医師により症状固定に至ったと判断された。なお、原告は、同医院で昭和四六年一一月エックス線写真撮影を受けたが、その結果認められる頚部所見は富山県立中央病院で認められた前記所見とほぼ同様であった。
ところで、変形性頚椎症は、加齢現象として発生し長期間にわたり徐々に進行するものであるが、必ずしも神経症状が伴うものではなく、高齢者の中には無症状でもエックス線写真で顕著に認められることがしばしばあり、また、頚椎骨軟骨症は変形性頚椎症に基づくと考えられる神経症状(上肢の痛みやしびれ感など)を呈する場合をいう。変形性頚椎症があり椎間孔の狭い人が前頭部を強打し頚椎に急激な過伸展を受けると、椎間孔がより一層狭くなり、この孔を通る頚神経根が強く締め付けられて傷害を受けやすく、その症状として、自動車事故によるむちうち損傷と同様の痛みやしびれ感を呈することがある。また、頚腕症候群は、頚部から肩、腕にかけて痛みやしびれ感をきたす、いくつかの病気の総称であって、頚椎骨軟骨症もその中に含まれる。なお、痛みやしびれ感は、他覚的に数量化してその存否及び程度を証明できないものであり、医師としては患者の主訴により存否及び程度を判断せざるを得ないものである。
2 治癒の時期と障害の事故起因性
右認定したところによれば、原告は本件事故に起因して上肢のしびれ感や痛みの症状を発症したが、その治癒の時期は、遅くとも富山県立中央病院の最終診療日の昭和四五年六月八日であると認めるのが相当である。すなわち、労災保険法における治癒とは、医療効果が期待し得ない状態に至ったものであり、疾病にあっては急性症状が消退し、慢性症状は持続してもその症状が安定して固定し、医学上一般に認められた医療を行っても、その医療効果がそれ以上期待し得ない状態になったときをいうと解される。これを本件についてみるに、原告のしびれ感や痛みは氷見市民病院退院時にはほとんどないと判断されるまでに軽減し、残存症状も富山県立中央病院退院時の昭和四五年一月三一日には更に軽減したようであるとされていることからすると、右時点における症状の程度は軽いものと考えられるうえ、氷見市民病院、富山県立中央病院及び高野整形外科医院における原告のしびれ感及び痛みに対する治療は、類似の理学療法及び類似の効用を有する薬物療法であってその間にはほとんど差異がなく、また、その治療の時期及び期間を考慮すると、高野整形外科医院での治療が富山県立中央病院での治療に比べより有効なものであったとは考え難いのであって、そうすると遅くとも富山県立中央病院の最終診療日である昭和四五年六月八日には原告の症状は安定して慢性化し、治療を継続してもその効果を期待できない状態になり、治癒していたものと考えるのが相当である。なお、証人芹沢憲一医師の証言及び同人の鑑定書である(証拠略)は、原告の治癒の時期は高野整形外科医院の最終診療日である昭和五三年九月二九日であるとしているが、その判断は根拠についての説明が不十分であって説得力に欠けると考えられるので採用しない。
右のように、遅くとも昭和四五年六月八日には、原告の両上肢の痛みとしびれの症状は固定し、医療効果を期待し得ない障害として残存することになったと認められるが、この残存障害の事故起因性について考えるに、前記認定のとおり、原告は本件事故当時六二才で、富山県立中央病院においてエックス線写真の所見に基づき変形性頚椎症の診断を受けているが、変形性頚椎症は必ずしも神経症状を伴うものではなく、原告の神経症状は本件事故直後に発症し、そのまま継続してついに固定するに至ったものであることからすれば、その事故起因性を否定することはできないというべきである。
そうすると、原告が被告労基署長に請求した補償給付のうち、休業補償給付は、疾病の治癒後の期間についてのものであるから補償の対象とならないものであるが、治癒後の残存障害については障害補償給付が問題となる。
三 消滅時効について
労災保険法は、その四二条に保険給付の受給権につき消滅時効の期間を規定しているものの、右期間の起算点についての規定を置いていないところ、右起算点については、一般原則である民法一六六条一項を準用し、権利を行使することができる時から進行するものと解される。この点につき、原告は、民法七二四条を準用し、本件障害補償給付請求権については、原告が本件事故に起因する疾病である右症状の治癒を覚知した昭和五三年九月二九日から起算すべきであると主張するが、前認定のとおり、原告の残存障害である上肢の痛みとしびれは、本件事故前にはなく、本件事故直後に発症し、そのまま継続し、固定するに至ったものであるから、その事故起因性は、発症後ただちに原告自身に覚知されたものと認められ、客観的には治癒の時点から補償給付請求権の行使は可能であったというべきであり、そうすると、原告の本件障害補償給付請求権は、遅くとも疾病が治癒していたと考えられる昭和四五年六月八日の翌日である同月九日から消滅時効期間が進行し、請求時である昭和五二年一〇月二一日には既に五年以上を経過し、時効により消滅したというべきである。
四 原告は、本件決定及び本件裁決には被告労基署長が消滅時効を援用していないのに原告の本件各請求権は時効により消滅したと判断した違法があると主張する。ところで、行政事件訴訟法一〇条二項によれば、原処分の取消しの訴えと原処分についての審査請求を棄却した裁決の取消しの訴えとを提起することができる場合には、裁決の取消しの訴えにおいては、処分の違法を理由として取消しを求めることができないとされ、裁決固有の違法事由を主張しなければならず、右裁決固有の違法事由とは実体的内容に関する事由以外の主体、手続及び形式に関する瑕疵をいうと解されるところ、消滅時効の判断は実体的内容に関するものであって、原処分取消しの訴えにおいて争われるべきであるから、右裁決固有の違法事由に当たらないというべきである。また、時効の援用は、民事の裁判において時効の援用により利益を受けるか否かを、援用により利益を受ける当事者の自由意思に委ねる趣旨の制度であるが、労基署長は労災保険法四二条所定の労災補償給付請求権の消滅時効の援用により利益を受ける立場になく、同条の規定は、請求書提出期間を定めたものと解するのが相当であるから、民法一四五条の適用を前提とする原告の主張は採用できない。
五 結論
以上のとおり、原告が被告労基署長に請求した本件各請求のうち、<1> 休業保障(ママ)給付の請求は疾病の治癒した後の期間のものであり、<2> 障害保障給付の請求はその請求権が時効により消滅したものであり、また、<3> 療養保障給付たる療養の費用の請求は疾病が治癒した後のものであるうえ障害保障給付請求権が時効で消滅したものであって療養の費用と認められないものであるから、被告労基署長の本件処分に違法はなく、本件決定及び本件裁決について固有の違法事由は認められない。よって、原告の請求は理由がないからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 白石悦穂 裁判官林豊、同納谷肇は、転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官 白石悦穂)